ピンクフロイドでヒッチコックな一日

一歳の娘とビーチに行った。

娘海沿いを歩きながらバケツに石を集めていた。

ずいぶん大きな石も持ち上げられるようになったし、石を入れたバケツを運びながら歩くなんて成長したなぁと思いながら娘を眺めていた私。

数分後、娘がバケツを私に向かって突き出してきた。

どうやら重くて運べなくなったから私が運べということらしい。

私がバケツを受け取ると、身軽になった娘はぐんぐん海沿いを歩いて行き、落ちている石ころを私が運ぶバケツにさらに入れていく。

ああこれってまさしくピンクフロイドの曲Hey youの”would you help me to carry the stones”が現実に起こっている瞬間だわ、とか思いながら私は石を運びながら娘の後ろをついて行く。

しばらく行くとカモメの群れがビーチに座っていた。20羽はいただろうか。

きっと群れになってじっとして北風を避けているんだわ、と思いつつ鳥好きの娘に

「鳥さん座ってるねー。ミテゴラン。」

などと言いながらしばらく立ち止まっていると群れが一斉に飛び立った。

かと思いきやどこに行くでもなく私たちの頭上を旋回しながらゆっくり後をついてくる!これって威嚇されているのだろうか。これだけの数に攻撃されたらかなりのダメージ、ヒッチコックの映画「鳥」みたいになったらどうしよう!なんて考えながら娘を連れていた私は本当に恐怖を感じ、でもそれを鳥たちに悟られまいとゆっくり歩いてその場を立ち去った。鳥たちはかなりの距離をついて来た。

 

家に帰ってからネットでカモメの群れ、威嚇について調べてみたら出てくる出てくる、中には小型犬が殺されたなんて記事もあった。

恐ろしい。

 

 

サーフィン 産後14ヶ月

出産を機に、私とサーフィンの関係は著しく変わったと思う。

妊娠する前は、とにかくサーフィンより素敵なものはないという気がして、サーフィン事故で死んだら本望、とけっこう波が大きい時もワクワクしながら海に出ていた。

妊娠8ヶ月の時サーフブレイクでかつてない恐怖心を覚えて以来、それまで楽しいと思えたサイズの波を怖いと思うようになり、産後一年経ってもサーフィンに対する情熱は戻って来ていなかった。小さな波や人が少ないところでのするサーフィンは好きだけど、もう私の背より大きな波に乗ったり、上級者向けのブレイクに行ったりすることはないんだろうなという気がしていて、妊娠と出産を機に私のホルモン分泌やら脳内化学物質は永遠に変わってしまったんだわ、とちょっと残念な気がしていた。

 

しかし、産後14ヶ月を過ぎた頃からなんとなくまたちょっと大きめの波に、以前ほどではないにしても乗ってみたいなという気がしてくるようになった。

ちょっと前までは2時間おきに授乳してた娘も、今では私なしで結構な時間過ごせるようになってきて、私の母性本能というか、脳内の化学物質分泌がはたまた変わったんだなーとしみじみ思う。

 

妊娠中、乳児がいるとき危険なことやリスクを自然に極端に避けたくなるなんて、人間ってつくづくうまくできてるな、と思う。

 

 

結婚している理由

結婚する理由と、結婚を継続する理由というのは、まるで違ってくるというのは結婚しなければこそ意識しないが、結構普通のことなのではないかと思うようになった。

 

私を結婚に踏み切らせたのは愛だったような気がするけど、二年半経った今、自分でもびっくりするほど薄っぺらだった私の愛は見事に消え失せ、お金と子供のために結婚していると思っている今日この頃。

彼がいなければ幼子を抱えて働かなくてはならないし、彼がいるからこそ車のメンテナンスが知らない間にできていたり、体調が悪い時は彼に子供を見てもらってゆっくりトイレに入ることができたりする。そう考えればありがたい存在だと素直に思うことができる。

 

これって悲しいことかとしばらく思ってたけど、世の中は諸行無情、人は常に変わっていく。

私たち夫婦の関係が変わるのも普通のことなんだろうなとふと思い、そこからけっこう簡単に受け入れられるようになった。

ケニアのテロとフランスのテロ

またフランスのテロ関連の話。

私が住むアメリカではフランスの自爆テロが連日報道されまくり、この報道のされ方はを見ていると911を思い出すのは私だけではないだろう。

私はパリに2度行ったことがあり、フランスには親しい友人達もいる。

今回の事件はまさに悲劇であり、許されざる行為であると心から思う。

 

話は変わって私はケニアにも行ったことがある。いい思い出がたくさんある、美しい場所だった。

今年の4月、首都ナイロビでイスラム武装勢力によるテロがあり、147人の命が奪われた。で、このテロに関して日本、アメリカどちらのメディアでも報道されているのをほとんどと言っていいほど見た記憶がない。

 

この差はなんなのか?と私は考えずにはいられない。

フランスはケニアに比べて、日本やアメリカにとって何かの理由でより重要だとされているようだ。それは日本やアメリカがフランスと結託した場合、ケニアと結託することでは得られない得な何かがあるのだろう。

 

フランスのテロ、ケニアのテロで亡くなった方々のご冥福を祈るのみである。

Kamikazeという英語

今朝ネットで
特攻隊は「テロリストとは違う」「戦友への侮辱だ」 仏報道に88歳元隊員憤り
という記事を見た。記事の内容は
 
パリで起きた同時多発テロで、フランスのメディアが自爆テロ実行犯を「kamikaze」と表現していることに、元神風特攻隊員から憤りの声が上がっている。命をなげうち、祖国を守ろうとした特攻と、無辜(むこ)の民間人を犠牲にするテロを同一視するような報道に、元隊員は「国のために戦死した仲間は、テロリストとは全く異なる」と反発し、「日本をなんとか救おうと、愛国心の一念から仲間は飛び立ち、命をささげた。テロと特攻を一緒にするのは戦友に対する侮辱であり、残念至極だ」と言っている。
 
というものだった。

特攻隊は「テロリストとは違う」「戦友への侮辱だ」 仏報道に88歳元隊員憤り(1/2ページ) - 産経WEST


これが今の私にとてもタイムリーで今日ブログを書かずにいられない。
 
昨夜アメリカ人の夫とテロについて話している時、彼がフランスのテロ実行犯をKamikazeと言ったことに違和感を覚えた。大学生の時「きけわだつみのこえ」に衝撃を受け、を何度も読み返した私にしてみれば、アメリカで生活していて、アメリカ人の神風特攻隊に対する認識には心が痛んで仕方無い。
このKamikazeという言葉は、いわば英語になった日本語である。
今回のフランスでも使われているらしいことを知ったから、津波とか寿司レベルで欧米諸国に知られている日本語なのだろう。
 
昨夜の会話の途中に私が反論しようとすると夫は、
「日本語の本来の意味では間違っているのかもしれないけど、Kamikazeは自分の命をも顧みずに思想に準じて自爆する」人という認識がアメリカではなされている、と説明。話が横道にそれそうになるのを抑えた。彼が実際に使った英語はthey don't care (about their own and/or other people's life), they just bomb peopleとかそんな感じで、「日本語の本来の意味では間違っているのかもしれないけど」という前置きにこそ私や日本人に気を使っているのが伝わっては来るけれど、Kamikazeは気でも違った人たちの総称の様なニュワンスだったので私はひどく気分が悪くなった。
 
この後私達はおバカなコメディー映画を見てから床につき、夫はもう昨日の私達の会話のことなど考えてもいないだろう。今日仕事から帰ってきた夫に、話をほじくり返してKamikazeの説明をするのが得策とも思えない。正直、どう言っていいかわからないというのもある。そして私のこの行き場のない憤りはこのブログへと発散される。
 
「Kamikazeという英語」という題名をつけたので、これについてもう少し説明しようと思う。私が初めてKamikazeという英語に遭遇したのは実は日本、東京だった。10年以上前にアメリカ人の友人とバーに行った時、彼がKamikazeというカクテルを注文していた。カクテルの中身は忘れたけど、すごく強いお酒だったことは確かで、だからKamikazeと名付けられたのだろう。他にも傍若無人、無謀で正しく昨夜の夫の説明の様な人をKamikazeと形容する。

世間のブログ一般

 

最近他人のブログというものを読むようになった。

 

前は友人のブログをたまに覗くことはあっても知らない人のブログを読む、という習慣はなかった私。けれど国際結婚をして海外に住んでいる方や、子育てに追われている方々のブログを読むと共感できる部分が多くて面白いということに気づいた。

私自身子育てに追われてまとまった時間が取れない生活の中で、短時間で出来る息抜きでもある。

 

そういうわけで国際結婚ブログの人気ランキングトップ3と子育てブログのトップ3辺りを読むんだけど、人気ブログだけあってみんなとても面白い。

で、読んでいるうちに何かその人気ブログに共通項を見つけてしまった。

それは愚痴、不幸ネタ、自虐ネタが多いこと。

それでも人気ブログはやっぱり面白くて、読んでて気分が悪くなることはない。

 

それと同時に人気ブログを人気しらしめているのは読者の側であって、所詮人は他人がいかにいい生活をしているか、素敵な伴侶をもっているか、なんていうことにそれほど興味はもてないんだな、と思ってしまった。そういうポジティブことを書き連ねたブログは自慢や厭味ととられてしまうか、そうでなくても不特定多数の支持を受けるのは難しいのかもしれない。

 

アメリカにおけるハッピーの意味がいまいち分からない時がある

 

ハッピーニューイヤー! あけましておめでとう!

ハッピーバースデー! 誕生日おめでとう!

ハッピーイースター! 復活祭おめでとう!

ハッピーJuly 4th!          独立記念日おめでとう!

 

と、この辺までは特に疑問を感じずに分かる。

 

ハッピーLabor day! 勤労感謝の日おめでとう!

 

そうか、勤労感謝の日は祝い事なのか、な。

 

ハッピープレジデントデイ!大統領の日おめでとう!

ハッピーベテランズデイ!退役軍人の日おめでとう!

 

私には良く分からん。けど、まあ、アメリカらしいっちゃあらしいね。

 

ハッピーハロウィーン!

 

ハロウィーンの何がめでたいのですか。

 

私に分からないのは、ハッピーの意味と言うよりはアメリカ人がその言葉を使う時の感覚、といったほうがいいのかもしれない。必ずしも「おめでとう」と訳す必要はないのかもしれないが、他にいい言葉も思いつかない。

 

ハワイには日系人が多い為、桃の節句は女の子の日、端午の節句は男の子の日として地元の人たちに結構認知されている。

数年前の3月3日、スーパーのレジで日系人っぽい男の子に片言で

「ヒナマツリ オメデトウゴザイマス」

といわれた時はその不意打ちに絶句してしまい、何といえばいいか分からなくって微笑み返すのが精一杯だった。

素直におめでとうゴザイマス、と返しておけば良かったのかもしれないけれど、日本でそういう挨拶を習慣としていた記憶はない。

ちなみにひな祭り、ハワイではみんな普通にハッピーガールズデーと言っている。

ひな祭りはお祝事か。