日本の茶碗とお椀が小さい理由ー食べ物を捨てること

アメリカ人は日本の食器を見てよく「かわいい!」と言う。その理由のひとつにサイズが小さいことがある気がする。アメリカに暮らしていて、日本の湯のみ、お茶碗サイズの食器を見かけることはまずない。

これとは一見関係ないように見えるがけど、他にここに住んでいて思うことに、多くのアメリカ人が「食事を残してはいけない」という概念を持っていない様に見えることがある。私はこれが嫌で仕方なかったけど、最近、価値観と言うより文化の違いなのではないかと思うようになってきた。なぜなら現代のアメリカで食事を残すのは殆ど自衛に近い必要悪にさえ見えるからだ。この国で出されたものを全て食べていたら体を壊すのは目に見えている。

私が大学院生だった頃、日系4世の教授がいた。彼女は彼女の祖母の話をする時に「出されたものは全て食べる日本人の悪い習慣」があると言っていた。私はそれを聞いてすごくショックだった。けれど彼女は晩年老人ホームで深刻な肥満に苦しんでいたらしかった。

アメリカでは外食をして残った分を持ち帰ることが出来る。レストランによっては3、4食分になりそうな分量が一度に出されることもざらで、これは食べ物を捨てない為にいいシステムだと思う。けれど仕事のランチ会議中や旅行中など、残った食べ物を持ち帰ることが出来ない時もある。

夫の家族などを見ていても感じるけどレストランだけでなく家で食事をする時も、残すことが悪いという空気はあまりない。どちらかと言うと食べきれない分は食べなくて良いという印象だ。私はこれもすごく気になった。どうして食べきれないほど自分の皿にとるのか。それってキリスト教の七つの大罪の一つでもある強欲ってやつじゃないの?せめて家で食べる時は、始めに少なめにとって後でお代わりをすればいいのに。といつも思っていた。

で、この間、いつもの様に食事を残す夫を見ていてひらめいた。日本のお茶碗やお椀が小さいのは食べ物を無駄にしないことに一役買っているのではないか!?と。日本国民全員がどんぶりを茶碗代わりに使っていたら、日本国内で捨てられるお米の量はものすごく増えるのではないだろうか。お茶碗が小さいからこそ、最後の一杯はお茶碗半分でいいや、などと調整が出来るけど、このお茶碗半分の調整を食べる前にするのはなかなか難しいかもしれない。小さい食器を使ってお代わりに何度も立つ習慣のないアメリカ人には尚更だろう。私は自分が食べきれる分量をとることに夫や彼の家族に比べて圧倒的に長けていると思っている。もしかしたらこれは、あまり考えずに皿に一人前を盛って、多すぎたら残すということを繰り返してきた彼らには困難な技なのかもしれない。

私自身は今でも食べ物を捨てることがほとんどない。それは私自身が罪悪感と嫌悪感を抱くからで、そうなったのは私が育った環境のおかげだと思っている。食に関して特別な教育を受けたわけではないけれど、「食べ物を粗末にしてはいけません」と至極普通のことを言われて育った。もちろん食べ物を大切にすることはアメリカでも大切で、そのために努力をしている人たちもたくさんいる。

ちなみに私が周りから食べ物を絶対残さない日本人と思われているかどうかはいまだに謎。