ヴィパッサナー瞑想其の三

ヴィパッサナー瞑想の話題からは逸れ始めているのだけれど、前回のエントリー「ヴィパッサナー瞑想其の二」で触れた、七日目の夜の瞑想中に考えていたことについて書こうと思う。

私は人を許すのが下手だ。そしてそのことに対して自分自身に嫌悪感や不快感を抱いている。また、これは私と親との関係が良くないことに関係していると感じる。特に父親とは全くそりが合わずに15歳の時以来17年間話しをしていない。これに関しても、父のしたことに憤りを感じる一方で彼を許して歩み寄ろうとすることが出来ない自分を意識・無意識下で責めている部分もある。しかし今回七日目のヴィパッサナー瞑想中、子供の頃私が何度も何度も彼を許して来たことを思い出した。今まで全く表層意識に上ってこなかった(すっかり忘れてなかったことになっていた)記憶だった。

17年前に最後に父と話しをした日、私はこれが最後だと思った。話が全く通じず、私の存在が精神的にも経済的にも彼の人生の全てにおいて足枷であると、子供である私を傷つける言葉をわざわざ選んで繰り返す父の存在は私にとっても不利益なものだと思っていたからだった。それまでに父から受けた恩恵や義理を考えて不義理を躊躇していた私が、縁が切れるのはお互いにとっての利益だと確信した日だった。

私が父を避け始めた時、周りはそれを子供の癇癪だと捉えた。放っておけばよくなると思ったのか、私の話を真剣に聞こうとしてくれる人はいなかった。母には何度か説明しようとしたけれど、子供だからだ、とかそういう年頃なんでしょとかで受け流された。また、父が私をなじる際には母の悪口が必ずセットでついて来たからその部分は母に言いたくないという気持ちも強く、それ以上母に説明しなかった。

こうした周囲の影響から、いつの間にか無意識に現在の私の中で私と父の関係が悪いのは「年齢的にはいい大人になった私がティーンエイジャーの癇癪から抜け出せず、大人になりきれていないから父を許すことが出来ない」からだという理論が形成され、私はこれに対して更なる嫌悪感と罪悪感を抱いていた。

しかし七日目の瞑想中、父の暴言にすでに傷ついていた私が、話を真剣に聴いてくれる人が誰もいなかった孤独、子供である私の言い分を軽んじる態度を隠そうともしない母の対応に更に傷ついていたのではないかと思い立った。自分が周囲の見解を自分の気持ちの様に解釈していたことに気づき、それにより自分の意識が普段アクセスしない場所にしまっていた、父を何度も許した経験が思い出された。これはひたすら自分の内側を「観察」するヴィパッサナー瞑想の成したことだと思う。