国際結婚と宗教

まだ生まれてもいない私たちの子供の洗礼式の計画を義母がたて始めた。

数ヶ月前に初めてそれを聞いた時、正直戸惑った。私は乳児洗礼には常々疑問を抱いていたので、それが自分の子供になされるとなれば「ちょっと待ってよ」、と言うのが正直な気持ちだ。
もしクリスチャンとして生きていくことを決めたら、本人がに大人になった時に自分で洗礼を受ければいいと思う。
けど、私がそんなことを思っているとは露ほども知らない義父母。角を立てずに計画を止めてもらうにはどうしたものかとここしばらく考えていた。

アメリカ人の夫と結婚してから、宗教と言うのは私にとって結構大きな課題だ。
自分の宗教観を改めて考えさせられている。

私は宗教と言うもの自体には興味があって、仏教、神道、キリスト教、イスラム教、とそれなりに勉強してきた。勉強といっても本を読んだり大学生の時に宗教概論などの授業をとった程度だけど。
私はキリスト教系の学校へ行き、身内にキリスト教徒者もあるため割とキリスト教の周辺で育ったと言えると思う。子供の頃からたまに教会に行っていて、今でも教会関係の知り合いがそこそこいる。
祭事、冠婚葬祭、お盆などでは仏教または神道の行事・儀式を経験し、もちろん初詣にも行ったことがある。
けれど自分が特定の宗教に属していると思ったことはない。そして特定の宗教に属していないというのは私にとって心地のいいことだった。

今まで欧米社会で生まれ育った人たちとの交流もあったけど、殆どが大学関係の人で、「生まれてすぐ洗礼を受けたけどキリスト教に信仰はない。」という人が殆どだった。
私自身も、911後のイスラム教の弾圧やパレスチナ問題、世界の宗教戦争、日本国内で仏教を語っているけどカルトにしか見えない新興宗教を見聞きして、特定の宗教に入信することは絶対ないといつの間にか思うようになっていた。
周りにも宗教をそれほど重要とする人はいなかったし、宗教によって引き起こされた問題を懸念する人たちの方が多かった。それが結婚前の私を取り巻く世界だった。

しかし結婚となると宗教の話を全くしないわけにはいかないのがこの国。
私にとってはジョンレノンのイマジンの歌詞みたいなのがしっくりくるけど、別に主人をはじめ他の人の信仰を否定するつもりはなかったはずだった。
けど彼と話す内に、自分の中に宗教に対する嫌悪感というか、ずいぶんと否定的な感情があることを発見した。
彼の家族のキリスト教に対する信仰をいかに受け入れるかと言うのが私の今の課題だ。

そんなことを考えるうちに夫や義父母と自分の子供に洗礼を受けさせる受けさせないという議論をする気がなくなってきた。
義父母にしてみれば、洗礼は彼らが孫に与えることのできる最高の贈り物のひとつなのだ。それを家族のいる東海岸で(遠いよ...)、家族全員を集めてやりたい。そして交通費も出す、といっているのだからそれは有り難いことなのだと思うようになってきた。
生後3ヶ月で洗礼を受けても、子供の宗教観の形成は親次第になることには変わりないだろうし、ここは義父母からの好意を素直に受け取ればよいのではないかと思い始めた今日この頃。
しかも今回洗礼式をやっていまえば、この先夫と洗礼を受けさせる受けさせないでもめることもないし、義父母の純粋な好意に水をさすこともなくなって一石二鳥。

他人を受け入れる、結婚って難しい。