Kamikazeという英語
今朝ネットで
特攻隊は「テロリストとは違う」「戦友への侮辱だ」 仏報道に88歳元隊員憤り
という記事を見た。記事の内容は
パリで起きた同時多発テロで、フランスのメディアが自爆テロ実行犯を「kamikaze」と表現していることに、元神風特攻隊員から憤りの声が上がっている。命をなげうち、祖国を守ろうとした特攻と、無辜(むこ)の民間人を犠牲にするテロを同一視するような報道に、元隊員は「国のために戦死した仲間は、テロリストとは全く異なる」と反発し、「日本をなんとか救おうと、愛国心の一念から仲間は飛び立ち、命をささげた。テロと特攻を一緒にするのは戦友に対する侮辱であり、残念至極だ」と言っている。
というものだった。
特攻隊は「テロリストとは違う」「戦友への侮辱だ」 仏報道に88歳元隊員憤り(1/2ページ) - 産経WEST
これが今の私にとてもタイムリーで今日ブログを書かずにいられない。
昨夜アメリカ人の夫とテロについて話している時、彼がフランスのテロ実行犯をKamikazeと言ったことに違和感を覚えた。大学生の時「きけわだつみのこえ」に衝撃を受け、を何度も読み返した私にしてみれば、アメリカで生活していて、アメリカ人の神風特攻隊に対する認識には心が痛んで仕方無い。
このKamikazeという言葉は、いわば英語になった日本語である。
今回のフランスでも使われているらしいことを知ったから、津波とか寿司レベルで欧米諸国に知られている日本語なのだろう。
昨夜の会話の途中に私が反論しようとすると夫は、
「日本語の本来の意味では間違っているのかもしれないけど、Kamikazeは自分の命をも顧みずに思想に準じて自爆する」人という認識がアメリカではなされている、と説明。話が横道にそれそうになるのを抑えた。彼が実際に使った英語はthey don't care (about their own and/or other people's life), they just bomb peopleとかそんな感じで、「日本語の本来の意味では間違っているのかもしれないけど」という前置きにこそ私や日本人に気を使っているのが伝わっては来るけれど、Kamikazeは気でも違った人たちの総称の様なニュワンスだったので私はひどく気分が悪くなった。
この後私達はおバカなコメディー映画を見てから床につき、夫はもう昨日の私達の会話のことなど考えてもいないだろう。今日仕事から帰ってきた夫に、話をほじくり返してKamikazeの説明をするのが得策とも思えない。正直、どう言っていいかわからないというのもある。そして私のこの行き場のない憤りはこのブログへと発散される。
「Kamikazeという英語」という題名をつけたので、これについてもう少し説明しようと思う。私が初めてKamikazeという英語に遭遇したのは実は日本、東京だった。10年以上前にアメリカ人の友人とバーに行った時、彼がKamikazeというカクテルを注文していた。カクテルの中身は忘れたけど、すごく強いお酒だったことは確かで、だからKamikazeと名付けられたのだろう。他にも傍若無人、無謀で正しく昨夜の夫の説明の様な人をKamikazeと形容する。
世間のブログ一般
最近他人のブログというものを読むようになった。
前は友人のブログをたまに覗くことはあっても知らない人のブログを読む、という習慣はなかった私。けれど国際結婚をして海外に住んでいる方や、子育てに追われている方々のブログを読むと共感できる部分が多くて面白いということに気づいた。
私自身子育てに追われてまとまった時間が取れない生活の中で、短時間で出来る息抜きでもある。
そういうわけで国際結婚ブログの人気ランキングトップ3と子育てブログのトップ3辺りを読むんだけど、人気ブログだけあってみんなとても面白い。
で、読んでいるうちに何かその人気ブログに共通項を見つけてしまった。
それは愚痴、不幸ネタ、自虐ネタが多いこと。
それでも人気ブログはやっぱり面白くて、読んでて気分が悪くなることはない。
それと同時に人気ブログを人気しらしめているのは読者の側であって、所詮人は他人がいかにいい生活をしているか、素敵な伴侶をもっているか、なんていうことにそれほど興味はもてないんだな、と思ってしまった。そういうポジティブことを書き連ねたブログは自慢や厭味ととられてしまうか、そうでなくても不特定多数の支持を受けるのは難しいのかもしれない。
アメリカにおけるハッピーの意味がいまいち分からない時がある
ハッピーニューイヤー! あけましておめでとう!
ハッピーバースデー! 誕生日おめでとう!
ハッピーイースター! 復活祭おめでとう!
ハッピーJuly 4th! 独立記念日おめでとう!
と、この辺までは特に疑問を感じずに分かる。
ハッピーLabor day! 勤労感謝の日おめでとう!
そうか、勤労感謝の日は祝い事なのか、な。
ハッピープレジデントデイ!大統領の日おめでとう!
ハッピーベテランズデイ!退役軍人の日おめでとう!
私には良く分からん。けど、まあ、アメリカらしいっちゃあらしいね。
ハッピーハロウィーン!
ハロウィーンの何がめでたいのですか。
私に分からないのは、ハッピーの意味と言うよりはアメリカ人がその言葉を使う時の感覚、といったほうがいいのかもしれない。必ずしも「おめでとう」と訳す必要はないのかもしれないが、他にいい言葉も思いつかない。
ハワイには日系人が多い為、桃の節句は女の子の日、端午の節句は男の子の日として地元の人たちに結構認知されている。
数年前の3月3日、スーパーのレジで日系人っぽい男の子に片言で
「ヒナマツリ オメデトウゴザイマス」
といわれた時はその不意打ちに絶句してしまい、何といえばいいか分からなくって微笑み返すのが精一杯だった。
素直におめでとうゴザイマス、と返しておけば良かったのかもしれないけれど、日本でそういう挨拶を習慣としていた記憶はない。
ちなみにひな祭り、ハワイではみんな普通にハッピーガールズデーと言っている。
ひな祭りはお祝事か。
結婚と子育てと自分の幼少期
結婚と子育てを通して、親の影響力の強さを日々感じずにはいられない。
もっとこうして欲しかった、ああして欲しかった、
私はあんな風にはならない、
と強く意識している部分を直す、改善することは確かにできる。
それは私たちの意思、小さな自由、そして力。
一方で、無意識、潜在意識の中に刷り込まれた行動がある。
例えば私は、夫婦は冷たくあしらいあっていいものだとどこかで思っている。
そう頭で考えている訳ではないけれど、きづけばそれが行動に出る。
離婚する前の私の両親の様だとふと気づく。
一方で私の夫は困難な状況でもすごく優しい。分かり合う努力をしてくれる。それは彼のご両親がそうだからだと思う。そして夫は子供と私の前でアル中全開になることが許されると思っている。口では止めると言っても、それがやむことはない。これはアル中のお義父さんに育てられた産物なのだろう。
結婚しなければ気づかなかった、こんなこと。
米連邦最高裁、全州で同性婚認める
今日、アメリカの連邦最高裁判所が、同性結婚を全州で認めた。
VIVA OBAMA!
私は物心ついた時からどうして同性愛が差別にあわなければならないのか、どうして社会の中で認められないのか全くもって理解不能だと思ってきた。
実のない偏見や差別に苦しむ人が一人でも減ることを願いつつ、今日の嬉しいニュースでした。
ま、結婚なんて墓場だぜっていう説もあるけどね。
トヨタの米国人女性役員逮捕
オキシコドンを輸入して逮捕されてしまったというニュースを見た。
トヨタの社長や本人が言う、法を犯す意図はなかった、という説明はアメリカ在住の私から見るに本当だと思う。ここまで大きなニュースになってしまったことを気の毒に思った。
日本語でオキシコドンと検索すると乱用とか危険とかいった内容のヒットが多いけど、処方されている人にとっては鎮痛剤である。
私も出産後オキシコドンを処方されたし、私の義母も腰痛に服用している。
膝の手術を受けた友人も手術後処方されていた。
私は砕いて吸ったこともないし、吸おうと考えたこともない。
オキシコドンを処方されている一般市民のほとんどは乱用など考えてはいないと思う。
確かにオキシコドンを不正に売買したり砕いて、吸ってハイになろうという輩がいるのは事実だ。けれどトヨタの重役がオキシコドン75錠を不正使用する目的で日本に輸入したとは思えない。
アメリカ在住の日本人から見るこのニュースは、
彼女が日本とアメリカで認可されている薬と法律を理解していなかった。
彼女が外国人で日本の有名企業の重役だったためにマスコミが必要以上に話を膨らませている。
と、いうことに見えた。
聖なるカメ
義父母の宗教観にちょっとついていけない私。この件については過去のエントリーを参照されたし。
で、うちには義母が置いていった聖水がある。
私はどうしていいかわからず、もらってからだた置いてある。
夫もどうしていいかわからないらしく、多分存在すら忘れている。
いらないものをただ取っておくのが嫌いな私。
聖水は捨ててはいけない、と義母から念をおされている。
うちには先日拾った亀がいる(カメ - Catcherinthewave's blog)。
庭の亀用のお皿に水を入れようとした際、ふとこの聖水のことを思い出した。
そして義母がうちの娘に初めて会いに来た時、彼女に聖水をかけていたことを思い出した。
ここでピンと来てしまった。
これってもしかして亀氏を家族として歓迎するためにあるのではないか?
早速プラスティックのボトルに入った聖水(水自体は義母がフランスから輸入したらしい)を亀の水皿に入れ聖亀誕生!
ウチの亀氏が神様のご加護にあい、私たちの家族としてこれから長い幸せな亀生を送ってくれることを願う。