夫婦観

夫婦の役割に対する考え方が根本的に違う。

というか旦那(アメリカ人)の妻観と私の妻観が違いすぎて疲れる。
私は専業主婦なので、ご飯作ったり掃除洗濯、家周りの小さなメンテナンスなんかをしつつ、家族の生活が滞りなく回っていくようにすることが私の仕事、のような気がしている。そういうことをやった上で、主人と出かけたり一緒に遊んだりしたい。
 
一方、夫が思う最重要な妻の役割は、夫と一緒に人生を楽しむこと。家事は仕事であるからそれに追われて、一緒に時間を過ごせないというのは人生の無駄と思えるらしい。
夕食時になっても優雅に夫と散歩したり会話したりして時間が過ぎていく。私は夕飯の支度がしたいのに!作業を始めようとすると嫌な顔をされる。1日の仕事が終わって夫婦水入らずの時間に君はまだ用事をしたいのか、と。
夫からしてみれば夕飯を作ることより一緒に楽しい時間を過ごす方が大切らしい。
 
最近は昼間できるときに夕飯の支度を済ませたりして、(私から見れば)意味なくダラダラしたがために近所のレストランに大して美味しくもないテイクアウトを買いに行く羽目にならないようにしている。結婚2年目、ちょっとコツをつかんできた。
 
専業主婦の祖母に育てられた私の父は、ずっとフルタイムで働いていた私の母の家事が気に食わなかった。「お前の母親は主婦としては失格」「母親は家族の中で一番早く起きて一番遅く寝るものなんだよ(私の母親はそんなことはしなかったけど)」が口癖だった父親と一緒に育った私の中には、主婦は常に家の中を忙しく動きまわっているものだという感覚が無意識に植えつけられている。ここからスタートして、今の夫の感覚の中間点くらいで会おうとする、これがなかなか難しいのである。

アメリカ人は足元を見ないらしい

これ慣用句の「足元を見る」の意味ではなく、そのまんまの意味で。

うちの旦那(アメリカ人)は床の上にある物はなんでも踏む。取り替えた娘のオムツをちょっと床に置いたらその上に立つし、知人から頂いた絵が大きすぎてテーブルの上に置けなかったから一時的に床に置いといたらその上を踏んで行った。
この時はさすがに「それ踏むのはどうかと思うよ」と言ってみたら、なんでこれが床の上にあるんだ!と私が怒られた。
こういうのを見ていてこの人なんかおかしいんじゃないかと思っていたけど、もしかしてこれも文化の違いなのかしらと思い立った。
床に物を置いたり、直接座ったり、床で作業するということが皆無で生きてきただろう彼と、日本で生まれ育った私。今は家の中は土足禁止だけど彼にとって床は床で、その上に作業中の何かがあるとは思いもしないのかも。生まれ育った感覚の差っていうのかな。それにしてもわからん。

アメリカで出産

私はアメリカの某大手保険会社から健康保険を購入、保持している。

健康保険や保険ビジネス自体が様々な論争を巻き起こしているこの国。医師であるドイツ人の友人はアメリカの健康保険は人間を助ける為ではなく金儲けのために存在する、と言っていた。ちなみに私は年間で2500ドル以上する結構いい保険を持ってるけど出産のための入院費は自腹で一日300ドル。アメリカ人は出産に問題などがない限り産後一日か二日で退院するのが普通。1週間入院する日本人が軟弱でアメリカ人が強靭、って言うわけではなく、実はこれはお金の問題なのである。

アメリカ在住8年目の私。幸い今まで大きな怪我や病気もなく、ただただ保険会社にお金を払い続けてきた。保険会社の悪徳っぷりを見聞きはしたけど、自身の出産までは他人事だった。

出産の二日後、入院費600ドルの支払いを済ませて家に帰ってきた私。一ヵ月後病院から届いた請求書の名目は子供の入院費と小児科の検診料、とあった。子供は私の保険でカバーされていないので、請求額は2500ドル....。わお!私はてっきり出産入院は全部私の保険でカバーされると思っていたよ...。小児科の検診といっても、入院していた二日間、一日一回小児科医が部屋に来て「何か問題ないですか?」みたいなことを聞いてくれ、5分くらいやり取りしたら出て行く。

出生直後の新生児の入院費を無保険で請求するとは、ここは血も涙もない社会。

 

 

外国人であるということ

私はアメリカに住んでいるから、常に外国人扱いされる。これは私がアメリカにに住み続ける限り変わらないと思うし、どんなに長くここに住んでも私がアメリカ人に見えるようになることはないと思う。これは別に構わないと思っている。

外国人扱いにも大分慣れてきたこの頃なのだけれど、時折うんざりしてしまう時がある。最近になってそれは、相手の無知故に極端に一般化される時、そしてその一般化が「日本人だから」というもので、その内容があほらしすぎると感じる時に私は悲しくなるらしいということに気づいた。

具体例を挙げると

①数年前にアメリカ人の友人たちが誕生日を祝ってくれた時のこと、サプライズでバースデーケーキが出てきたので、私はいつもより大げさに喜んでみた。そしたら10人ほどいた友人の一人が「もしかしてバースデーケーキって初めてだった?ケーキ見たことある?日本にケーキってあるの?」と聞いてきた。彼にとって日本が遠い異国の地であることは知っている。けれど曲がりなりにも先進国と呼ばれる日本にケーキがないのかもしれない、日本人である私は生まれて初めてのケーキ、しかもバースデーケーキをもらったのかもしれないと思われたことにちょっと吃驚してしまった。

 

②主人の知人の家に泊めていただいたとき、私は彼のコーヒーマシーンの使い方が良く分からずコーヒーを溢れさせてしまった。その失敗に気づいた時、彼は私に「コーヒーマシンって見た事あった?日本人ってコーヒー飲むの?」と私に聞いた。慰めてくれようとしたのかもしれないけれど、私の側から見た場合これは、初めて行ったお宅のコーヒーマシンの使い方が分からなかった、という出来事で、一方で日本人と接点のない彼の側から見た同じ出来事は、日本にはコーヒーがないかもしれなくて、日本人である私は生まれて初めてコーヒーマシンを触ったのかもしれない、と言うものになった。

 

これは両方ともアメリカに来たてではなくて5、6年住んでからのことである。

外国が未知の世界なのは分からないでもない。私もそんなに多くの国のことを詳しく知ってる訳ではない。けれどこういう日常の小さな出来事が時折にやけに気になってしまう。

そういえば大学院生のとき教授から日本にピザってあるの?って聞かれたこともあったなぁ。まぁ、主人の叔父さんは日本人は肉を食べない(魚しか食べない)と思ってたみたいだし、大して興味のない外国についての知識なんてそんなもんなのだろうか。

妊娠小ネタ2

妊娠36週。立ったまま靴下を履こうとし、片足を上げた瞬間自分の太ももがお腹を直撃。ショック。痛い。

お腹の出て行くスピードに、自覚が追いつかないんです。

そういえ最近テーブルの角とかによくお腹をぶつけるなぁ。

妊婦のお腹の大きさと胎児の大きさ

所変われば”常識”や”正常範囲”も大分違ってくる。日本のサイトを見ていると、妊娠中の体重管理が本当に厳しそうだなという印象を受けるけど、アメリカ人は20キロくらい増えるのが普通。

私は妊娠前の体重が分からないので、大体の予想しか出来ないんだけど妊娠9ヶ月(35週目)で7-8キロ増、というところだと思う。

最近自分ではもう苦しくて仕方ないのだけど周りからはお腹が小さすぎると言われ、先週はついに病院でお腹の赤ちゃんがちゃんと育っているか超音波検査で確認すると言われた。

結構不安にされつつ行った検査。結果、胎児のサイズは平均のど真ん中もしくはちょっと大きめ、とのことだった。

知人で妊婦またはごく最近出産した人たちが何人かいるけど、お腹の出方と胎児のサイズは本当に関係ないと思う。空腹を感じる時は食べて、食べられない時は食べない。運動したい時はして、したくない時はしない。こういう妊婦本人の内なる要求にしたがってやっていけばいいんだとつくづく思った。

妊娠後期の胃の圧迫であまり物が食べられなくて体重が1キロくらい減った私に「高カロリーのものを食べて運動は控えるように」と指導した病院に憤りを感じてしまう。

 

廻り廻って還ってくる

出産のため、二ヶ月間やっていた日本人学校のバイトを辞めることになった。

どうしようもない理由とは言え、経営側は全く喜んでいないのが伝わってきて何となく後味が悪い。

出産期間のみ休むのではなくこれを期に完全にやめようと思っている。私が妊娠を伝えてから約4ヶ月、相手の対応を見て、この人と長期的に働きたくないと感じた、と言うのが一番大きな理由だと思う。妊娠、出産と言う表向きの理由は実は二の次で、私が本当に続けたいと思えばどうにでもなる気がしないでもない。

人間、社会って面白いな。私も私が関わる人たちへどういう対応をするか、よく考えて気をつけて生活したいと思う。情けは人の為ならずとはよく言ったものだと思う。